双子の片割れママのこれまでとこれから

流産、双胎一児死亡、早産、人工死産を通じて感じたことのキロク

双子の片割れママへのNGワード

 

今はもう過去のこととして振り返って書けますが、

双子のうち一人を亡くした親に対してよかれと思ってかけた言葉でも

本人を痛く傷つける言葉があります。

 

私が傷ついた言葉

 

双子だったら大変だったわよ

はい。確かに新生児一人でもお世話が大変なのに、それが同時に二人だったら大変でしょう。

でも、片割れママはその大変さすら羨ましい。

二人が生きているからこそ味わえる大変さ。

お空へ一人旅立ってしまった私はその大変さを味わえない。

片割れママにはその大変さが幸せな光景に見えます。

 

 

 一人生きているからいいじゃない

はい、確かに一人は生きています。

一人の命が生きているから、毎日の搾乳、NICU通いも頑張れるし、

子供の体重が1g増えたり、ミルクを飲む量が10cc増えたことやがすごく嬉しいし、

体調が悪くて抱っこが延期になればとっても悲しいし。

一喜一憂できるのも命があるから。

 

でも、亡くした子は顔がそっくりでもこの子とは別の命。

だから、この子が生きてて確かによかったけど、だからいいじゃないということにはならない。

この子はこの子。あの子はあの子。

 

私は確かに二人産んだのに目の前には一人しかいない現実。

それを「よかったじゃない」の言葉で片付けられてしまうのはとっても悲しかった。

 

そして、言葉ではないが、態度として悲しかったこと

 

興味が生きている子ばかりで、亡くなった子はどんどん忘れられていく

一人が無事に退院して、その子との日々が積み重ねられていくに連れて

双子だったことが遠い過去になっていく。

むしろ親戚の興味は生きている子ばかり。

むしろ天国の子へ話題を振るのはタブーかのように会話に触れない。

 

リビングにお骨とお花を飾ってても、線香をあげてくれたのは最初だけ。

中には最初からなかったかのように、何もしない親戚もいた。

 

双子であったことは事実なのに、お空の子は最初から居なかったかのように振舞われるのが本当に嫌でした。

 

双子の片割れママがしんどいのは、

生きている子の成長がリアルにお空の子を連想するから。

 

今頃生きていたら、こんな顔で二人並んでたんだろうなぁ。

この服お揃いで着せたら可愛かっただろうなぁ。

目の前にいるこの子とそっくりな子がもう一人いた。

 

簡単に無かったことになんてできないです。

だから、少しでもお空の子に触れてくれたら私は嬉しいです。